雀荘

 4年ぶりか。 紫煙を燻らせながらそっと呟く。
久しぶりの東京はまるで別の街のように変わっていた。 もっとも4年前には雀荘の存在を意識したことすらないので、 いくら街並みが変わっていたところで関係はない。 当然、馴染みの店などあるはずもなく、目に付いた雀荘に入ることにする。

 だが、2階にある雀荘のスチール製の門扉の前で耳をすませても、 本来聞こえてくるはずの雀荘特有の喧騒が聞こえてこない。 休みかと思ったがドアノブを回してみると鍵が掛かっていなかったので、そっと開けて中を覗いてみる。 店内は薄暗く良く見えなかったがポンチーの声が微かに聞こえてくる。 一応やっているようなので中に入ると店内はそれなりのスペースがあり麻雀卓も8卓ほどある。 しかし、卓が立っているのは中央にある1卓だけで、他の7卓にはシートが被せてある。

 しばらく、店内を見回していると二十歳くらいの青年に声を掛けられる。
「イラッシャイマセ」
 たどたどしい日本語とともにオシボリを手渡される。 大陸系、恐らくは中国人だろう。 他のメンバーを探すとカウンターの奥に二十歳くらいの女の子が一人いるだけで他にはいない。 これでは全卓フリーで立ったときにはとても足りないに違いない。 ということは、ここはフリーよりもセットがメインの雀荘か。

 だとすると新たに卓が立つのにはかなり時間がかかるに違いない。 しかし、せっかく来たからにはここでも一局は打っておきたい。 備え付けの麻雀マンガもあるので、ゆっくり待たせてもらうことにする。

 だが、1時間経っても誰もやってこない。 今打ってる連中にも止めそうな気配が全くない。 いい加減に諦めて別の雀荘にでも行くかと席を立とうとしたとき、 ドアがゆっくりと開き学生風の青年が入ってくる。 これであと一人来れば中国人青年が入るだろうから、 1卓立つなと思い再度マンガを読み始める。

 だが、30分経っても最後の一人がやってこない。 学生さんは明らかに痺れを切らしている様子で、 頻繁に時計に目をやる。 このままではまた2人来るのを待つことになってしまう。 非常に拙いことになったと思っているとカツカツと階段を上がってくる靴音が聞こえてきた。 隣の学生さんをそっと見ると先程までのいらつきがなりを潜めている。 どうやら店外の靴音に気づいて耳をすましているようだ。 もちろん、俺もようやく麻雀が打てるのかという期待感に胸が膨らむ。 だが、そんな男たちの期待をあっさり裏切り靴音は階上へと行ってしまう。 ついに苛立ちが頂点に達した学生さんも舌打ちを残して出て行ってしまう。

 さすがにここでは打てそうにないと俺も諦め、 読みかけのマンガを最後まで読んだら出ることにする。 だが、その数分後に唯一立っていた卓から50代であろう老婦人が立ち上がって声を掛けてきた。
「もう、私は抜けるから打っていいよ」
2時間近くも待たされたので喜んで卓につく。 だが、そのとき中国人青年は驚くべき台詞を口にした。
「オツカレサマデス。オーナー」
・・・・・オーナー? つまり何かい?この婆さんはこの雀荘の経営者なのかい? それにも関わらず客である俺を2時間も待たせたのかい? いい度胸してるじゃないか、婆さんよ。 しかし、婆さんの傍若無人ぶりは留まるところを知らなかった。
「もう、あの席はだめだよ。ラスばっかりだからね。1回抜けてからまた打つことにするよ」
いくら麻雀は腕でラス席など気に掛けないとは言っても面白くない。 これでは不味いから食べていいよと言われたようなもんだ。 そんなものを喜んで食べる奴がいるだろうか。いやいまい。

 だが、悲しき麻雀打ちの習性か。嬉々として配牌をとっている自分に気づき愕然とする。 その姿は人生の敗残者かパブロフの犬か。 しかし、楽しいものはやはり楽しい。 数半荘ほど久しぶりの麻雀を満喫していると、 カウンター奥にある従業員用の控え室からオーナーの婆さんが欠伸をしながら出てくる。 まだ眠そうな目をこちらに向けると開口一番とんでもないことを言う。
「わたしゃもう負けないよ。十分寝たからね。で、誰が抜けるんだい?」

 あまりといえばあまりなその暴言に卓についていた4人は一瞬固まるが、 何事もなかったように再び打ち始める。 だが、誰も抜けるつもりがないと気づいた婆さんは卓の周りをうろうろする。 鬱陶しいことこのうえないが、どっかいっちまえとも言うわけにもいかず黙々と打っていると、 プレッシャーに耐えかねたのか下家の学生さんが抜ける。 それを見た婆さんは嬉しそうに入るが、これはもう麻雀好きというより、 完全なキチ○イだ<俺は違うよ? こんな不良経営者はいっちょこの俺様がおしおきしてやらなきゃならないだろう。

 おあつらえむきに東一局に絶好の手牌になる。

 

 47萬をひいて引導渡してやるから待ってろよとほくそ笑んでいるとサクッと2萬をひいてくる。 手変わりの前にツモってくるのはいつものことなんでどうということはない。 肝心なのはこの手をここで和了るのは良策なのかどうかだ。 場を見渡すと47萬はまだ山に3,4枚は眠っているように見える。 おまけに1萬は場に2枚切られている。 正に至れり尽せりの状況。

 こんな美味しい状況でツモのみを和了っても他家を喜ばせるだけだ。 みすみすハネツモを見逃す必要などない。 何より開局早々に振聴の跳満を和了られたときに受ける衝撃には12,000点以上の価値があるだろう。 特にリーチにオリていた場合などは後悔の嵐が吹きまくり、 その後はしばらくまともな麻雀を打てなくなるだろう。 山と他家に与える心理を読んでの完璧なリーチ。 ふっふっふっふ。 我ながら自分の雀力には惚れ惚れするぜ。

 だが、自分の才能に酔いしれていられたのも僅か数瞬。 下家の婆さんからリーチが掛かる。 しかも、7萬を切り飛ばしてのリーチ。 世が世ならハネ直のはずだったのにと思ったところでどうしようもない。 つくづく配牌からいた1萬が恨めしい。 おまけに婆さんがツモ切る牌の半数は47萬。 己の和了り牌が減っていくのをただ見ているだけしかできないとは。 早く俺にも和了り牌をよこしてくれと念じつづける。 その想いが通じたのか、神の気まぐれか、 減り逝く和了り牌を見事にツモりあげる。 自身の和了りに軽いショックを受けながら。

 他家に衝撃を与えるつもりが逆に700・1300の収入に自分自身で軽い衝撃を受けてしまった前局だが、 麻雀を愛してやまないこの俺を麻雀の女神は見捨てはしなかった。

 

 東ニ局5順目でこの手牌。 神の寵愛を一身に受ける俺に相応しい。 三色目がある理想的なひきの58筒に、一通目の34索、 やや待ちは悪くなるが一通確定の9筒引きに、 三色がほぼ確定する2索引きがある。 このまま有効牌を引き入れなければ1472筒、5索引きでも良しといった所。

 何を引き入れてもそれなりに楽しみな牌勢のはずが、 神の悪戯か気まぐれか次順にツモってきたのは3筒。 こんな牌など残して3索単騎に構えろと? 麻雀始めたばかりの初心者の頃ならいざ知らず、 これほど美味しい牌勢をただのリーのみにしてしまうほど俺は愚かではないわ<威張ることでもないっす

 当然ノータイムで3筒を切り飛ばしたが、次順にツモってきたのは本来であれば好牌であるはずの4索。 ぬおっ?!3筒を残していれば!3索を切っていれば!!リーチをかけていれば!!! 裏ドラが乗っていて満貫を手中にしていたに違いないのにぃいいい!! なぜ神はこれほどまでに我に過酷なる試練を与え賜うのだ<バカとか言うな

 だが、こんなことはいつものことだから、特にどうということもないし気にもしていない。本当だぞ? それよりもここで振聴リーチを敢行するかどうかが問題だ。 場を見渡すと369筒はまだ山に眠っていそうだ。 となれば、牽制の意味でも振聴リーチに行くべきだろう。

 だが、369筒をツモることもなく数順が過ぎると下家からまたしてもリーチがかかる。 おのれ、1度ならず2度までも。 俺を相手に追っかけリーチをかけても無駄だということをいやというほど教えてやるわ。 がっはっはっは。<でも、収入は1,500点。

 ふっ。前局、前々局は散々だったが、今回こそは華麗かつ流麗に和了り俺の雀力を嫌というほど見せつけてやろう。 配牌を取ると1面子2塔子1両嵌の抜群の配牌。おまけにツモも絶妙。 これなら勝ったも同然だな?とほくそ笑んでいるとまたしても下家からリーチが掛かる。 おのれ、どこまで俺の邪魔をすれば気が済むのか? 目にもの見せて、リーチを掛けたことを後悔させてやると意気込んでいると6索をツモり聴牌。

 

 ここで萬子を切り飛ばしてのリーチも悪くはない。 だが、13萬がリーチ者の現物で俺の河に本命牌の8筒が捨ててあるこの状況で追っかけリーチを掛けるは愚者の所業。 3萬切りでダマ聴に構え14萬が捨てられるのを待つのが常道というものだろう。

 だが他の二人は持っていないのか14萬は中々出てこない。 山の奥にでも眠っているのかと思い始めた頃、本命牌である8筒をツモってくる。 下家の当たり牌は恐らく上の筒子。勝負局でも勝負手でもないこの状況で切りきれる牌ではない。 ここはいったん一向聴に戻し、筒子のくっつき聴牌を狙うべきだろうと3萬を落とすと次順に4筒をツモってくる。 くぅっっっ!!やはり俺は天才か神の御子か?<手筋です

 相手の当たり牌を止め3面張の聴牌、おまけに14萬待ち聴牌のときは高めでも3,900点だったが、 今度は高め3筒で満貫。 これならば、十分勝負になるだろう。否、俺の勝利は間違いあるまい。 勝利を確信した俺は追っかけリーチをかける。 悪いが婆さんこいつでくたばってもらうぜ?だぁはっはっはっは!! 数十秒後に訪れるであろう勝利に酔いしれる。

 しかし、当たり牌の残り枚数を数えはじめた俺の顔から血の気がひいた。 なぜだ?なぜこのようなことに俺は気づかなかったのか? こんな単純なことにぃいいい!!! なぜ俺の河に3筒が捨ててあるんだぁあああ!!!(答え:334557で6筒ツモのときに捨てたから) おお神よ。あなたはなぜに私にこれほどまでに過酷な試練を与えた賜うのか。 やり直しを要求するぅううう!!! だが、そんな俺の悲痛な叫びなど無視して場は淡々と進む。

 結局、何事もなく流局し振らずにすんで助かったと思っている俺に上家の学生さんが遠慮がちに話しかけてきた。
「振聴好きなんですか?」
ぬぉおおおおおおおお!!!

 そんな俺の怪進撃が数半荘続き深夜になったときに、 下家の婆さんがオーナーにあるまじき暴言をまたまた吐いた。
「次の半荘で最後だからね」
・・・・・・?
「わたしゃ、もうつかれたよ」
ばんばぁあああ!!!
いくら俺が知的で温厚、紳士で美男(ほっとけ)でも、本気で怒っちゃうかもよ? つか何で疲れてるのにこれがラス半じゃないんですか? それより何で12時過ぎてからそんなこと言うんですか? 今日は土曜だから休日ダイヤで終電が30分早いんで今からダッシュでも微妙なんですけど? しかも、まだ東ニなんですけど? やはり、これは確信犯ですか? 確信犯ですよね?

 ということはそれ相応の責任を取ってもらっても問題ないよなぁ? そうは言っても、俺も鬼じゃないから始発の時間まで打つってことで妥協してやろうじゃないか。 それで婆さんが出目徳になったところで俺の知ったことじゃないがなぁ。 つか、大人しく出目徳になりやがれ。 てめぇ〜の思い通りに世の中動くと思ってたのが運の尽きよ。 だっはっはっは。

 ちっ。4月とはいえ夜の東京は無性に冷えやがるぜ<追い出された。みんな帰っちゃうしさ。ちぇっ。
最後の煙草に火をつけながら呟く。 そして、都会の不条理に弄ばれた男は紫煙を燻らせながら喧騒の中へと消えていった。

今回の教訓:男はハードボイルドで決まりだな<アホとかいうな

あばよ!!(柳沢慎吾風)

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