前回に引き続きナシナシルールの話ですが、
ナシナシについて書く前に麻雀で最も魅力を感じるのはどんなところか考えてみたいと思います。
麻雀のどこに魅力を感じるのかは人によって様々でしょう。
自分の好きな役やまだ和了ったことがない役を和了ることに魅力を感じる人もいるでしょう。
跳満、倍満など高い手を和了ることが楽しいと思う人もいるでしょう。
また、トップを獲ることに楽しみを見出す人もいるでしょう。
私も好きな役や高い手を和了れば楽しいですし、トップを獲ることが出来たら嬉しいです。
ですからそういった楽しみを否定する気は全くありません。
しかし、麻雀の最大の楽しみ、魅力とはそういったものではないと思うのです。
最大の魅力のひとつは和了りに向かう過程にあるのではないかと思うのです。
ここでいう和了りに向かう過程とは鳴くことでクズ配牌に活路を見出したり、
他家の仕掛けや捨て牌からドラや翻牌の所在を予想しキー牌を絞ったり切り順を変えたりすることです。
しかし、ナシナシはこのような楽しみを著しく減少させます。
それはナシナシが仕掛けに対してかなりきつい制限を与えているので基本的に面前で進行することになり、
仕掛けを意識する必要がほとんどないからです(絞るのは基本的には翻牌のみで良い)。
また、仕掛けが入ったとしても厳しい制限があるので非常に読みやすく、
対処もしやすいので読みや駆け引きの技術をほとんど必要としていないことがその理由です。
ここで例を挙げて説明してみましょう。
例えば234萬でチーをした場合、
ナシナシであれば、この鳴きから考えられる役は234の三色、混一、翻牌の暗刻ぐらいでしょう。
他にも手牌での一通、三暗刻、三色同刻などがありますが出現頻度の多さからいってこの3種類が本命だといえるでしょう。
役の可能性が3種類もあれば十分多いと思う人もいるかもしれませんが、
決して多いものではありません。
特にこの3種類は比較的読みやすく対処しやすいのでなおさらです。
混一、清一は明らかな色の偏りがありますから、読むという程のこともないでしょう。
次に三色ですが染め手でなければ三色に決め付けても問題ないくらいの本命です。
そして三色であれば上家は234の索子、筒子、特に3索と3筒を切らない方向に手牌を持っていけば済みます。
下家と対面も3索、3筒を切らなければまず振り込むことがないので対応が非常に楽です。
翻牌の暗刻は一応本命に含めましたが混一、三色に比べれば可能性は非常に低いので、
それほど意識する必要もないでしょう。
234の筒子、索子のうちどれかひとつでも4牌見えて三色の可能性が消えたときに意識すれば良い程度です。
なにより翻牌が暗刻の場合は1副露だけではなく2副露以上することがほとんどですので、
読むまでもなく分かってしまいます。
これらのことから仕掛けられると面前であれば読みきれなかったであろう和了り役や待ち牌が非常に読みやすくなることが分かります。
ナシナシでは後付けがないので翻牌以外の仕掛けならば大歓迎ということです。
本来は甘い打牌をした側が咎められるべきところなのですが、
鳴かせてしまった方が楽になるのでは打牌も甘くなりがちです。
逆に鳴いた方は一見手を進めたように見えて実は他家を楽にさせているので、
結果的には手の進行が遅れることが多くなります。
一方アリアリの場合はどうでしょうか。
ナシナシ同様に三色、混一、翻牌の暗刻が考えられます。
それに翻牌の後付けとクイタンが和了り役の本命として加わります。
そして、この2つが和了り役の本命になることにより、
ナシナシであれば仕掛けに対して無頓着に切れた翻牌、中張牌の切り出しに注意を払う必要が生じてきます。
つまり仕掛けが入ると楽になるナシナシとは違い一打一打に気が抜けないということです。
234萬のチーでも翻牌、中張牌の切り出しにはかなり気を使うようになりますが、
これが中張牌のドラポンになると話はもっと違ってきます。
ナシナシであればドラをポンされてもそれほど怖くありません。
何しろ後付けもクイタンもないのですから対々和か混一、翻牌の暗刻以外まずあり得ないので、
手牌構成が非常に読みやすいです。
和了り役が読みやすいので牌を絞りやすく仕掛けた人の進行を遅くするのが比較的容易です。
ですから、それほど怖さがないということになります。
一方、アリアリであれば和了り役をまず見極めなければなりませんがこれが結構難しい。
仮に翻牌の後付けかクイタンだと予想は出来たとしても、この2つは手牌構成が読みにくいので対処がしにくい。
そうなるとドラを鳴かれた時点で不利な状況に追い込まれることになります。
ですからドラを無闇に鳴かせないようになりますし、
同じ切るにしても状況によって切り順を変えたりするようになります。
つまり出来るだけ不利な状況にならないように切り出しには十分気をつけるようになるので、
捨て牌や他家の思考に対しての読みが深くなり雀力の向上にも役立ちます。
しかし、ナシナシは甘い打牌によって不利な状況に陥いることをルールによって防いでいるので、
打ち手にそのような技量を求めません。
ですから、仕掛けに対して無頓着になり、雀力がなかなか上達しないと言えます。
また、初心者やナシナシが好きな人は仕掛けを汚いとよくいいます。
クイタンドラ3や後付けの翻牌ドラ3などをやられるとずるい、卑怯だといいます。
だから、そんな卑怯なことをさせないためにナシナシにするということなのですが、
それは他家の仕掛けから手牌や狙いを読むことが出来ないからこそ出てくる台詞であって、
ある程度でも読むことが出来ていれば汚いと思うよりもやっぱりそうだったのかという思いの方が先にくるはずです。
確かにアリアリで他家の手牌や思考を読むことはナシナシよりも難しいですが、
決して不可能ではありません。
点棒や局数、捨て牌などの状況や1鳴きか2鳴きか、何順目であるのか等を意識して打つようになれば、
ある程度は読めるようになります。
また、ナシナシは配牌とツモが悪いときには迂闊に鳴くわけにいかないので黙って見ている他ありません。
配牌とツモが悪いときは大人しくしているしかありません。
これは配牌やツモの悪さを技量で補おうとする奴は鬱陶しいから黙っておけということです。
これでは技量を活かす機会がほとんどありません。
しかし、アリアリであれば多少配牌とツモが悪くても和了るときに役がついていれば良いので、
仕掛けに活路を見出すことも出来ます。
もちろん、状況に応じて鳴くのも鳴かないのも打ち手の自由です。
そして、そういった選択肢の多さが麻雀をより魅力あるものにするのではないでしょうか。
多くの選択肢の中から正着を見つけ出すのが腕の見せ所ではないのでしょうか。
取り得る選択肢を限定させたルールで和了り役や待ち牌、キー牌などを読むのと、
より多くの可能性の中から他家の手牌や待ち牌などを読むのでは、どちらの方が難しいでしょうか。
もちろん、後者でしょう。
そして、難しいからこそ見事に読みきったときの喜びは大きいし、
技術にも磨きを掛けるのではないでしょうか。
また、取り得る選択肢が多ければ多いほど、打ち手のレベル、好みによって打牌が異なってくるでしょう。
それが打ち手の個性となり麻雀をより魅力あるものにするのではないでしょうか。
そして、こういったものが私は麻雀の醍醐味だと思っているのです。
麻雀をより魅力あるものにし、雀力の向上にも役立ち、
和了り形で揉めないアリアリの方が良いと私は思うのです。
ですから、より多くの人にナシナシではなくアリアリで打って欲しいのです。