9.一点読み

 今回の内容は今までと多少毛色の違う話になることを最初に断っておきます。
 多少胡散臭い話になるとは思いますが、どう解釈するかは読んでくださった人の判断に任せたいと思います。

 前口上はこれくらいにしておいて、本題に入りたいと思います。
 麻雀は他家の待ちを一点で確実に読みきるのは基本的には無理だということは、 今までに何回か言ってきたと思いますが、実はある程度条件さえそろえば一点で読むことも不可能ではありません。
 例えば、下のような捨て牌の場合、何待ちだかわかるでしょうか?(全て手出し)

 
 

 筒子待ちかもしれないですし、萬子待ちかもしれない。 索子待ちかもしれないし、字牌で待っているかもしれない。 基本的にはこれだけでは普通はわかりません。
 もちろん、こんな風に問題を出すってことは、索子待ちなんだろうな? とはすぐに読めると思います(実際にこの捨て牌のときは、索子待ちです)
 しかし、実戦で確信を持って一点で読むことができるのかと言えば、 甚だ怪しいと思います。
 それでも、あといくつか条件がそろえば一点で読むことはできます。 実際に私はこのリーチを36索待ちの一点で絶対の自信を持って読みきりました (すでに胡散臭さ大爆発ですが・・・・)

 なぜ絶対の自信を持って36索待ちだと言い切れるのか? (はっきり言って自慢話になってます。あまり読むことをお勧めしません)
 まず、リーチをかけたときに、リーチ者は自信ありげに感じられました。 もっとはっきり言えば読めるもんなら、読んでみやがれ!!と私には感じられました。
 もちろん、言葉に出してそんなことを言うわけはありませんし、 鼻息が荒くなったりとか、牌を叩きつけたわけではありません。 リーチをしたときも今までの切り方との違いはありませんでした。 唯一の違いは牌が横向きになっていることぐらいです。

 それでも、そうはっきりと感じることはできました (別に怪しい薬をやっていた訳ではないです)
 つまりは自信満々の雰囲気だったということです。 そして、このリーチをかけた相手は、 多少腕に自信を持っているということが前局までの打ち方で分かっていました。
 多少腕に自信がある人間(思い込みでも問題ない)が自信満々でリーチしてくる場合というのは、 出あがりが期待できるような待ちであることが多い (完全な経験則ですが、外れていることはほとんどない)

 では、出あがりが期待できる状態というのはどういった場合かと言えば、 捨て牌が迷彩っぽいときでしょう。
 他にも地獄待ちや掴めば必ず切ると思われる牌で待っているときも出あがりが期待できますが、 地獄待ちで序盤、中盤に自信満々にリーチしてくる人はほとんどいませんし、 7順目では掴めば必ず切るだろうと思われるような牌もまずありません。
 ですから、リーチ者は自分の待ちが迷彩になっていると考えていると思ってまず間違いないでしょう。

 今回の捨て牌で迷彩らしくなっているのは何待ちの場合かと考えれば、 もちろん、索子待ち以外には考えられません。
 もっとも、今回の場合は単に索子を切っている枚数が多いというだけで、 全く迷彩にもなっていませんが(というより既に索子待ちがド本命になってる)
 私を始めちょっと強いかも?と勘違いしている人間なんて、 待ちと同一の牌が多く出てれば迷彩になっていると思い込めるしょうがない人種です。

 一応索子待ちだということが分かったので、 次にすることは索子の何で待っているのかを読むことです。 索子の待ちでありそうなものは36索と47索の2通りということになります。
 他の索子待ち(3索と他の牌とのシャボ待ちや嵌4索待ち等)というのは、 この捨て牌ではちょっと考えられません。

 では、36索、47索のどちらがあたり牌であるかの判断はどうしたらいいのでしょうか。 その判断は捨て牌の12索、89索の切り順に注目すれば、簡単にわかります。
 12索、89索、5索を切って索子待ちで聴牌するためには、 1245589索か1255689索の形で持っていたことになる。
 まず、1255689索が手牌にあったとして、なおかつ索子を切るとしたら、 何を切るでしょうか?
受け入れが重複する辺7索待ちの89索を先に切っていくのが普通です。
 次に1245589索が手牌にある場合はどうかと言えば、 3索の受けが重複する12索を先に切ることになります。

 捨て牌から12索が先に切り出されていることは分かっていますから、 3索の受け入れがある45索が手の内にあることがわかります。
 ですから、この捨て牌でのリーチは36索待ちだと自信を持って読めるわけです。


 次にもう一例だけ見てみましょう。 下のような捨て牌のでリーチが掛かったとしたら、 何待ちだと思いますか?(9筒、白のみツモ切り)

 
 ドラ
 

 ちょっと勘の鋭い人であれば、すぐにわかるとは思いますが、このときの待ちは嵌8萬でした。
 このときも私は絶対の自信を持って嵌8萬の一点で読みました(事実その通りでしたが)。 では、今回の捨て牌でなぜ一点で読みきれたのか?
 それは今回もリーチ者がやけに自信満々に見えたからです。 最初の例と異なるのはリーチ者が今回は初心者であるという点です。 これだけ、分かっていればもう大した理論など要りません。
 なぜなら、初心者が自信満々でリーチしてくる場合というのは、 字牌待ちかスジ引っ掛けと相場は決まっているからです。

 なぜ、そういう風に相場が決まっているのかと言えば、 初心者に初めに教えることを考えれば、自ずと分かってくるのではないでしょうか?
 もし、あなたがルールや役といった基本的なことを分かっている初心者に対して、 初めに教えるとしたら何を教えますか?
 まず、間違いなくスジについて教えると思います。 両面待ちの聴牌にとると待ち牌の枚数が多いから得だよと初めに教えるでしょう。 そして、両面待ちの待ち牌はスジにあたるということも教えることでしょう。

 次には当然、基本の待ちは両面待ちだから聴牌者が4萬を切っているときは、 スジである1萬7萬は比較的通り易いんだよと教えることでしょう。 もう、ここまで言えばお分かりだと思いますが、 初心者は見事に現物のスジ=安牌ということを周りの人間に刷り込まれる訳です。
 当然、初心者はスジ引っ掛けをすれば、 他家も安牌だと思ってバシバシ切ってくれると思うわけです。 おまけに使いきれるかどうか不安だったドラもなんとか切らずに済み一安心と思うことでしょう。
 これだけ材料がそろっていたら、 ひっかけリーチをした初心者が自信満々になるのも無理はないというものです。

 そして、理論もそれを裏付けています。 まず、4順目に切られている7萬に注目します。
 7萬はドラの9萬の受け入れを残す重要な牌の一つです。 それが早目に切られているということは、 既に手牌がドラを必要としない十分形(速度か得点の少なくともどちらかで)になっているか、 捨て牌の7萬がなくてもドラの受け入れがある形になっていると読めます。
 そこで十分形なのか、ドラの受け入れがあるのかを考えた場合、 リーチまでの間に5回も手牌を入れ替えていることに注目すれば、 少なくとも速度的に十分形であったとは考えづらい。

 また、得点的にはどうかと言えば、 4順目でドラ受けを嫌うような十分形というのは早々できるものではありませんし、 下の三色を狙っているのであれば、ドラ受けを嫌う位ですから、 かなり出来上がっているものと考えられます。
 であれば、1筒、2萬等の方が7萬よりも先に切られるはずだと考えられるので、 7萬を切ってもまだドラ受けが残されていると考えるのが妥当でしょう。

 では、リーチ者にはどういったドラ受けの形があったのか。 7萬を切っている訳ですから7萬が手の内にもう一枚あると考えて問題ないでしょう。
 そうなると5778萬、5779萬のどちらかの形から7萬を切ったのではないかと考えられます。 5778萬の形から7萬ではなく5萬を初心者が残す場合というのは唯一、567の三色を意識した場合のみでしょう。
 序盤に5萬を切ると14萬待ち、69萬待ちが露見するので嫌だと思うのは、 もう少しセオリーを覚えた人間の考えることだからです。
 しかし、7索が私には4枚見えていましたので、567の三色はないということは分かっていました。
 つまり、5778萬の形から7萬を切ったのではなく、 5779萬から7萬を切ったということが分かります。
 5萬がリーチまで手牌にあったということは、 少なくとも一向聴までは579萬の形が手牌の中に残っていたことの証左だといえます。

 理屈と感性の両方が嵌8萬は当たりであると告げているわけですから、嵌8萬待ちだと絶対の自信を持てる訳です。
もっとも今回の場合は、勘が働いた時点で理論など用済みでしたが・・・・・・


 この2つの例に共通していることは何でしょうか?
 それは、待ち牌を読むときに聴牌者の捨て牌からだけではなく、 相手の雰囲気、雀風、技量等からも待ち牌を読んでいるということです。 雀風や技量なんて数局打っただけでは分からないと思いますか?
 もちろん、そんなことはありません。
 少しでも麻雀に自信のある人間であれば、2,3順もあれば他家の腕がどの程度であるかの判断くらいできます。 南場に入る頃には、大雑把ではあっても雀風だって理解できます。
 仮にそれができない人がいるとしたら、 それは自分の手牌に精一杯で周りに意識が向かないからでしょう。

 雰囲気についても同じことが言えます。
 自信満々であったり、弱気だったり、虚勢を張っていたりと色々ありますが、 感性が鋭いとき、もしくは感性の鋭い人なら他家のそういった雰囲気を敏感に察知することができると思います (もちろん、百発百中である必要は全くありません)
 こんな風に書くと雰囲気がまったく読めない(危険を察知する能力が欠如している)人は、 自信満々な雰囲気ってやつを説明してみろよ、などと言い出しそうですが、 言葉で説明するのは無理です。少なくとも私には絶対に無理です。

 しかし、似たようなものがあるので、それについてちょっと書いてみたいと思います。 あなたは失笑と微笑の違いはもちろんわかりますよね? それはどうやって区別していますか?
 まさか、いちいち口元がどうの、 目じりがどうのなどと理由付けしてから失笑だとか微笑だとかを判断しないですよね。
 また、微笑んでいたとしても、 その笑顔を失笑や苦笑の類だと感じることももちろんあると思います。 そういったことはどこで判断しているのでしょうか?
 もちろん、論理的に判断している場合もあるでしょうし、 そういったときは説明もできるでしょうが、 感覚で判断していることがほとんだと思います。
 つまり、肌で相手の感情、思考を感じ、判断しているということです。 麻雀を打っているときの雰囲気についてもこれと同様だということです。

 今回言いたかったことは、待ち牌は理論と感性で読むことが重要であるということです。 逆に、理論と感性の両方がなければ、待ち牌を読みきることは難しいということです。
 もちろん、勘が極端に良い人間には理論は必要ありませんが、 そこまで勘の良い人間というのは、いたとしても稀だと思いますから、 理論と感性(勘といっても良い)の両方が待ち牌読みに必要なことには変わりません。

 もっとも、当然のことですが、理論と感性をフルに使って待ち牌を読んだとしても、 必ず読みきれることができる訳ではないことはわざわざ言う必要もないことでしょう。
 全般編の必勝法(参照:全般編4)でも言ったことですが、 これさえ知っておけば勝てるというような方法、戦術、戦略はありません。
 しかし、より勝ちを得やすい方法、戦術、戦略というものは確固として存在します。 そして、勝ち組と負け組をわけるものはこの勝ちを得やすい方法を積み重ねているかどうかという点にのみかかってきます。

 そして、今回の場合に当てはめて言えば、 適当に待ち牌を読んだときの的中率が1割だったものを理論を駆使して的中率を1割5分に上げ、 勘も同時に巧く使うことによって2割に上昇させることができたら、 それは意味あるものであると私は考えます(完全に待ち牌を読むということからは遠く及ばないにしても)

HOME